今週はこの3冊を読みました。
一番面白かったのは田中泰延さんの「読みたいことを書けばいい」です。
大事だと思った要点をいくつか書くとこんな感じ。
- ネットで読まれている文章の9割は「随筆」
- 随筆とは「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
- 物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛
- 一次資料に当たる
- 図書館で調べる
- 感動が中心になければ書く意味がない
- 思考の過程を披露する
仙台つーしんの記事を書いていて、自分の記事は中身が薄いなと思うことがよくあります。
「もの書きは「調べる」が9割9分5厘6毛」と思えば、そもそも自分が調べている量が少ないから中身も薄くなってしまうんだろうなと思った訳です。
例えば、仙台つーしんでは新しいお店がオープンするという記事を良く書きますが、その情報は建物の張り紙、求人情報、お店のSNSなどから得ています。
お店によってはそれで充分な情報が得られることもありますが、そうでない場合も少なくありません。
情報が少ない場合に、そのプラスアルファを調べないと、記事の内容は薄くなってしまいます(当たり前ですね)。
そう考えると、どうやって調べるか、どうやったら調べられるかが問題になるかと思います。
この本では図書館で調べることの重要性が語られていますが、当たり前ですけど新しいお店の情報は図書館では得られません。
考えられるのは、お店の連絡先を探してインタビューしていくとかでしょうか。
あるいは、どうしても内容が薄くならざるを得ないものは仕方ないと考えて、定期的に内容の濃い記事をあげられるように、図書館でしっかり調べるようなものを書いていく、ということなのかもしれません。
本を読むと分かったような気にもなるけれど、いざ記事を書こうとすると、何を書いたら良いのかが分からなくなってしまいます。
養老孟子著「バカの壁」に「知るということは根本的にはガンの告知だ」 という言葉があります。
曰く、ガンの告知を受けると見える世界が変わるように、何かを知るということはそんな風に見える世界が変わるということなんだ、ということです。
僕は本を読むといつもこの言葉を思い出すのですが、そんな風に見える世界が変わっていない自分に気付きます。そして、自分は本から全然学べていないんだろうなと感じてしまいます。哀しいですね。
上に挙げた要点の中に「思考の過程を披露する」とありますけど、このずんだのサイトは僕がどんなことを考えて仙台つーしんで記事を書いているかを中心に書いていきます。
それは「感動が中心になければ書く意味がない」ことになってしまうので、自分の感動を中心に書けるようにしていきたいです。
ブログのタイトルでもある「この街に夢中になりたい」は仙台つーしんのテーマですけど、そういう夢中になれるという感動を、書く中心にしたいです。
余談ですけど、この著者の田中泰延さんが書いた記事は合計で500万PVを超えるみたいです。
仙台つーしんを始めてからの2年半で、ようやく300万PVを超えたところですから、羨ましい限りです。。。